ゼロケンです。私たちのチームは新人大会を終えた時期だったのですが2020年日本時間の1月27日の朝に衝撃的なニュースが入ってきました。
私の大好きなNBA選手であったコービーブライアント氏がヘリコプターからの墜落事故により亡くなられたということです。
娘ジアナさんも同乗していたということで同じように子供を持つ我が身としては更に辛いニュースとなりました。
私はしがないミニバスコーチですがこんな私にも数々の影響を与えてくださった
コービーにこの記事を捧げさせてください。

私がもがき苦しむ時期に励まされ
コービー氏の記事は他のサイトに十分すぎるくらいあるでしょうから私が励まされた経験をお伝えさせてください。
5度の優勝を成し遂げたコービーですが晩年はチーム構築がうまくいかず本人も幾度もケガに悩まされ思うようなキャリアを過ごせなかった印象です。
大好きだったNBAはスパーズ王朝に変わりレイカーズもプレイオフにも進めないシーズンがあるなどコービーも苦しいシーズンが続いていました。
私もミニバスチームを立ち上げたものの思うように子供たちが集まらず6年間公式試合ができませんでした。
人数が揃い公式に大会に参加しても100点ゲームが続きました。
選手もそうでしょうが私も悩み続ける日々が続きました。
私のその様な時期にいつも共感し励まされたのがコービーの勝利に対する執着心いわゆるブラックマンバによる”マンバメンタリティー”です。
「人生はあまりに短い。立ち止まることなく進み続けなければいけない」
私もいつも励まされ自分なりにこの姿勢を続け今に至っています。
NBAのスーパースター私が語るまでもない
ウィキペディアから
コービーブライアント
私が語るのもおこがましい話なので引用をご覧いただければ十分かと思います。
私が学生の頃NBA に熱狂していた時のレジェンドといえばマイケルジョーダンです。
TVの中だけの存在なのですがリアルタイムで観れていたことに幸せを感じるほどです。
2度の三連覇(スリーピート)成し遂げた正に神でした。
1990年-1991年のシーズン初優勝から1997-98シーズン2度の三連覇を成し遂げるまでブルズ王朝でした。

NBA入団新たなレジェンド
そのような時期に1996-1997シーズン大学を挟まずに高校からNBAドラフトで入団してきたのがコービーブライアントです。
選手生活全てをロサンゼルスレイカーズに捧げ続けたレジェンドです。
当時のパフォーマンスですがやはり線が細くパワー不足の印象はあったのですが次世代のスパースターの片鱗は十分でした。
ジョーダンの次はこの選手だというのは誰が見ても疑いようがありませんでした。

引退試合でも60得点!!!
コービーは引退試合で60得点しています!
ちなみに八村塁選手のキャリアハイは30得点です。
NBA歴代2位の一試合81得点の記録もありますね!(一人で取ったんですよ(+o+))

引退ゲームでのスピーチ
何よりも重要だったのは、キャリアを通じて僕たち全員が一丸となれたこと。皆さんは僕の心に常にい続ける存在です。心から、本当に感謝しています。心の底から、ありがとうと言わせてください。愛しています。
引退スピーチより
この20年間、いつだってチームメイトから『自分にパスを出せ』と強く言われてきたのに今夜は、『パスを出すな』と言われて、まいってしまったよ。
ほかに何を言えばいいかな? Mamba out!!(マンバは去ります!)
マンバメンタリティー(ザマンバ)永久欠番記念式典スピーチ

ありがとう、ありがとう。今夜は本当にありがとうございます。
でもこの式典は決してあそこにぶら下がっている僕のジャージーのためではありません。すでに以前から吊るされているジャージー、あれらがなければ僕が今ここに立っていることはなかったでしょう。僕が高いレベルでプレイするためのインスピレーションとなったのは彼らです。マジック(ジョンソン)、キャップ(カリーム・アブドゥル・ジャバーの愛称)、シャック(シャキール・オニール)に毎日触発されました。(エルジン)ベイラー、(ウィルト)チェンバレン、(ゲイル)グッドリッジ、(ジェリー)ウェスト、(ジェームズ)ウォージー、挙げればキリがありません。
そしてこの組織の気品のためでもあります。ジェリー・バス、(ジーニー・バスに向かって)あなたの父はフィラデルフィアのローワー・メリオン高校出身の痩せこけた子供を信じてくれました。永久欠番記念式典スピーチ引用: 翻訳:大西玲央 Twitter:より
そして次の世代のためでもあります。今ここにいる(ロサンゼルス)レイカーズのロスターです。あそこにぶら下がっている数々のジャージーに込められた精神を受け継ぎ、このチームを前に進めてください。次の20年間を、これまでの20年間よりも素晴らしいものにするために。
そしてファンです。ファンと(大歓声)…メディア、皆さんがどれだけ僕と一緒にいたか、あなたたちは気づいていないと思います。僕が朝5時半に走っているときにだって、あなたたちはそこにいました。ワークアウトの途中で、最後まで終えられるかわからないとき、僕は、皆さんがどれだけ僕とチームに期待しているかを考え、それが推進力となりました。そのおかげで朝5時半に800m、400m、100mを走りきることができたのです。だから、ありがとう。
そして家族、妻のバネッサです。皆さんは知らないと思いますが、ここでやった僕の最後のゲーム、ユタ・ジャズ戦の前、僕はとにかく疲弊しきっていました。「最後までやり遂げられるかわからない。あと1試合残っているけど、もう足が残っていない」という感じでした。
すると彼女が「ちょっと見せたいものがある。最後の試合の前にプレゼントがあるの」と言ってきたのです。そして、多くの引退選手のユニフォームを見せてくれました。ベイラー、マジック、シャック、キャップ――。全部、僕宛のメッセージとサイン付きでした。マイケル・ジョーダンのもありましたし、偉大なるビル・ラッセル、偉大なるラリー・バードのもありました。それを見たとき、最後の力を振り絞らなければ、と思いました。だからベイビー、僕のインスピレーションになってくれてありがとう。
最後に娘たち、ナタリア、ジアーナ、ビアンカ。君たちは、努力をすれば夢が叶うということはもう知っているだろう。それは誰もが知っていることだよね。でも、今夜ここで知ってもらいたいことがあるんだ。朝早く起きて努力しているとき、夜遅くまで起きて努力しているとき、「やりたくない、疲れてる」と思っていても努力するとき。それこそが夢なんだということをね。夢は結果じゃない、旅路なんだ。それを理解できれば、夢は叶うものではないということがわかるはずだ。夢は叶わない。その代わりに、もっと素晴らしいものを手に入れることができる。君たちがそれを理解できれば、僕が父親としての仕事をできているってことなんだ。
みんなありがとう、愛しているよ。
マンバアウト(さようなら)。
終わりに
日本の片隅の片隅のしがないサラリーマンコーチですがあなたがバスケットボールを通じて私に与えてくれた精神を次のバスケットボールをする世代にまた伝えさせていただきます。
ご冥福をお祈りします。ゼロケン。