
ゼロケンです
1945年8月15日の「終戦を迎えた日」から
75年。。。
8月15日は我々日本人は決して忘れてはいけない日だと思っています。(息子にもそう教えています)
はじめに私のブログはミニバスに関する物でありますので戦争、平和、経済、政治など述べていく立場ではないものと自覚しています。
そのような前提で
「我が国の先人たちの、命がけの覚悟と行動により、今日の私たちの生活があり、私もミニバスコーチが出来ていると思っています。」
またバスケにおいても
「今現在の環境、戦術、大会などはバスケに関わった先人の方々のご尽力があり発展を遂げ、私もミニバスコーチが出来ていると思っています。」
この8月15日を迎え私も改めて「覚悟があれば大丈夫」の初心のもとに日々情報発信とミニバスの普及、発展に微力を尽くしていこうと思っています。
ミニバスも短い夏休み
私たちのチームも短い夏休みを迎えています。
ここでゆっくりと観たかった映画鑑賞です!
タイトルは
【硫黄島からの手紙】

何度も観ておりますが、観るたびに
「現在って本当に平和だよな。。。平和すぎるよな。。。平和ボケなのかな。。。」
考えさせられます。
まだの方がいらしたら是非ご覧ください。
少し戦争について触れます
多くのメディアは
戦争についてあまり触れたくない。
触れない方が何となく都合がよい。
触れるならばかつての先人たちを侵略者とレッテルを張る。
といった感じがあるように思います。
私はまず現在の日本で生活する以上「かつての戦争、特に太平洋戦争について」は正確に認識しておかなければならないと思っています。
様々あるも二つに触れる

コチラは第1次大戦に関して
1914年7月28日から1918年11月11日にかけて計25か国が参加してヨーロッパを主戦場として戦われた戦争である。
戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡した。
戦争終結前後にはドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国などのいくつかの帝国が消滅した。
引用:ジャパンナレッジ
国が消滅ですからゾッとしますね。



コチラは第2次大戦に関して
1939年9月の英独戦争に始まり、1941年6月の独ソ戦争、同年12月の太平洋戦争を経て、1945年5月ドイツの、同年8月日本の降伏で終わる戦争をいう。
1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダ、オーストラリアとの太平洋戦争(大東亜戦争)開戦によって、戦火は全世界に拡大し、人類史上最大規模の戦争となった。
世界で5〜8千万人に上るといわれている。
引用:Wikipedia
終戦後のメディアを目にした時
あまりにも日本の先人たちが侵略のみを目的にした過ちを犯したという記事ばかりで、
本当にそうなのかといった思いがしてきます。
以下はある書籍で印象に残っているものです。
普通の有色人種はちょっと脅せばすぐにビビって白旗を振ってきたのに、日本だけはそうはいかなかったのです。
この日本の潜在能力はアメリカの想像をはるかに上まるとてつもないものでした。
そこで日本人の底力を恐れたGHQは、その強さの源泉を祖国と祖先への誇りにあると考えました。
そして彼らのそのような「特異なメンタリティ」を後世に残すと、連合国にとって都合が悪い、いつ反撃されるかわからないと考えたのです、、
それから「戦前の屈強な日本人特有の精神」を後世に残さないために、
戦前の日本の功績、伝統、教育を全てをなかったことにして、
「日本が全て悪かった。」と自虐史観を植え付けるよう教育しました。
私たちの洗脳されてしまった自虐史観のままでは、
歴史を「日本が悪かった」という偏向の目で見てしまい、
歴史の話を聞いたり、本で学んでも、戦前の日本人が国、家族を想う言動を
「悪」「胡散臭い」「軍国的」と無意識にレッテル貼りをしてしまい戦前の日本人が大事にしていた「日本を守ろう」「日本をより良い国にしよう」という精神そのものを見ようともせずに全否定しています。
ただ当時のアジア諸国の植民地支配、
次は我が日本という側面も確かにあったはずで、
戦後東南アジア諸国からは今だに当時の日本の行動に対して
感謝をする光景が見られるということもあるそうです。


単なるミニバスコーチも決意を新たにする
私は何度もお伝えしますが「単なるミニバスコーチ」です。
様々な国の事情、人の心は私の想像を絶する物でしょうから
「右だ左だ」と一方的な意見を述べることは出来ません。
ただ難しいことは抜きにして
「何があっても戦争、争いはするべきではない!」
やるなら
「ルールのあるスポーツで競えばよい!」
少なくともかつての先人達が命がけで守ってくださったこの国を
我々がより良い国に作り上げていくことは
残された我々、引き継いだ者の使命ではないかと思います。
このまま終わってしまってはただ単に歴史認識のブログなので
このまま終わってしまってはただ単に歴史認識のブログなどになってしまいますので(+o+)
日本におけるバスケットの歴史を少し述べて締めます!
私が最近読んだ本の中にこういった記事がありました
日本の男子プレイヤーもかつてはシュートをツーハンドで打っている時代があり
その理由は
「体格に劣る日本人が打てるはずがない」
といった漠然としたものだったようです。
ところが戦後の1950年(ちょっと前とつながっている感じしません?)
「ハワイ日系2世選抜チーム来日」
同じ血を引き継ぐハワイの選手たちが華麗に決めるのが
「打てるはずがない」と決めつけていた「ワンハンドシュート」です!
そこから日本の男子選手にもワンハンドシュートが普及していくになっていたということです。
過去のオリンピックに出場
また過去に
ローマオリンピック1960年
東京オリンピック1964年
出場した時の吉井監督の「世界と戦うため」奮闘する様子も描かれています。
(さらにちょっと前とつながっている感じしません?)
延期となった「東京オリンピック」において
日本は世界と戦うヒントを歴史から学び、バスケの先人が作り上げてきた「日本のバスケのバトン」をつないでいくことが大切だと感じました。


最後はバスケの歴史にふれて
今回は「終戦」というキーワードから
「バスケの歴史」そして「日本そのもの歴史」について私なりにお伝えさせていただきました。
こちらの記事で何度も触れましたがこちらのブログの趣旨は
スタートから一切変わりませんので
ブログについて
今後もバスケの初歩とミニバスについての情報発信していきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ゼロケンの過去のバスケ理論練習についての記事はこちら⇊
カテゴリ:練習と理論
存在皆無のゼロの状態から県大会を叶えた記事はこちら⇊
カテゴリ:ゼロから県大会
覚悟があれば大丈夫です。私にだって出来たのですから。今回はここまでです。